第一次大戦から太平洋戦争の頃、
欧米で活躍した日本人舞踊家「伊藤 道郎」についてご紹介します。
ダンスの業界では知られているのかもしれませんが、
わたしは先日放送の番組で知りました。
NHK BS プレミアムカフェ
「異国と格闘した日本人芸術家
夢なしにはいられない君~舞踊家 伊藤道郎の生涯~」(初回放送2007年)
第一次大戦から太平洋戦争にかけ、欧米で活躍した舞踊家・伊藤道郎。 東洋的な体の動きは多くの芸術家にインスピレーションを与え、ハリウッドのショーでも成功を収めたが、一方で米国FBIにスパイ容疑で逮捕され家族と引き離されるなど、波乱万丈の生涯を送った。常に夢を見続けた彼の人生をたどる。
伊藤道郎について
伊藤 道郎 -Michio Ito-(1893 – 1961) ダンサー・振付師・演出家
東京府東京市神田区生まれ
慶應義塾普通部卒業
舞踊活動
1911年
帝国劇場歌劇部に入団帝国劇場歌劇部に入団し、三浦環との共演でドイツ語のオペラ『釈迦』で初舞台
1912年
オペラ留学のため渡欧したが、ベルリンでイザドラ・ダンカンの舞踊公演に感銘し、山田耕作に舞踊家になることを薦められ、ヘレラウのダルクローズ学院に入学
1914年
第一次世界大戦の影響でロンドンに渡る
1916年
詩人イェイツのアイルランド神話に能を融合した代表作「鷹の井戸」では、詩人パウンドの導きにより、道郎は鷲の役で脚光を浴び完成に貢献。のちにニューヨークに渡り『武士道(寺子屋)』を演出
1918年
イギリスでホルストに作曲を依頼し『日本組曲』の舞踊公演などを行うなど、数々の作品の創作も手掛けた。精力的に公演活動を行う一方、ニューヨークにスタジオを創設し、次世代を担うダンサーの養成にも務める
1929年
アメリカの各地を巡演し、その後ロサンゼルスに移住。ハリウッドでもスタジオを創設
1930 年
初めてハリウッドボウル(ハリウッドにある野外音楽堂)で公演
1931 年
凱旋帰国して帝国劇場と日比谷公会堂で公演
1941 年
日米関係がさらに悪化し真珠湾攻撃が勃発してすぐ、スパイ容疑で逮捕され捕虜として収容所に拘留される
1943年
妻と2人の息子を残し、第二次日米交換船で日本に帰国
日本に帰国後、東京にスタジオを開設し、舞踊家の養成に努める。そしてGHQ に接収されていたアーニーパイル劇場(東京宝塚劇場)の総監督を依頼され成功を収める。他にもモデルや俳優などの養成をはじめ、様々な仕事にも取り組む
1964年
東京オリンピックには開会式と閉会式の総合演出を担当したが、開催を待たずして死去
親族
父:伊藤為吉(建築家)
母:喜美栄(動物学者)
弟:[五男] 熹朔(舞台美術家)
[六男] 圀夫(千田是也として演出家・俳優)
妻:ヘイゼル(離婚) 艶(再婚)
子:[長男]ドナルド(40代で死去)
[次男]ジェリー伊藤(歌手・俳優)
伊藤道郎ってどんな人?
アメリカのモダンダンス界のパイオニアの一人であり、また「アメリカの宝」とまで絶賛され、多くの芸術家にインスピレーションを与えた人。
ロンドンで貧窮生活をしていたが、カフェ・ロイヤルでのパーティーに招待され、踊りを披露したら喝さいを浴びた。それは当時イギリス首相アスキスの誕生日祝いのサプライズであった。そのころから名が知られるようになり、様々な芸術家から声がかかるようになっていった。
西洋と日本の「舞楽」や「能楽」など東洋のエッセンスを融合した道郎の芸術は、欧米の人たちを魅了させ、彼の演出では拍手が鳴りやまず何度もカーテンコールがあった。
日本に凱旋帰国した時には、軍の戦争懐疑派と繋がって親日プロパガンダして戦争回避しようとしたが、ビジネスには疎く予算は全く足らなかった。そんな日本の軍との繋がりがあっため、スパイ容疑がかけられ、真珠湾戦争が始まってすぐに逮捕された。
道郎の生徒がテレビのインタビューで「先生の手は、小さくてずんぐりしていたが、でもその手が動き始めるとどんな小さな動きも美しくて、みんな目が離せなくなりうっとりしたものだった」と語っている。
参考: [テレビ番組] プレミアムカフェ/アメリカに夢を売った男 / Wikipedia
伊藤道郎が語ったこと
- 「私は芸術を平和の赤十字にしたい」
- 「戦艦一隻買うより平和な芸術友好活動に」
戦時中は「お国のために」戦争をしなければいけない、特に日本では表現の自由がなかなかできない時代に、芸術のすばらしさを伝えるのは大変だったと思います。彼は戦争がきっかけで、国を移住したり帰国をせざるを得なかったので、もし戦争がなかったら、もっとたくさんの作品を作って世界中の人をもっと魅了させてたかもしれません。
さいごに
彼のダンスシーンが紹介されていましたが、素晴らしかったです。中でもソロダンスのピチカット(シャドーダンス)は、日本の能を感じられる繊細で美しい動きでした。
日本も欧米のように、日常生活の中にアートをもっと取り入れる機会が増え、もっと身近なものになってくれればいいと思います。
読んでいただきましてありがとうございました。
コメント